オリンピックの砲丸投げの砲丸(ほうがん)は大会が用意した中から選手が選ぶ。すでに50年以上作り続け、世界で認められたのは一九九六年のアトランタ五輪。金、銀、銅の三人のメダリストが手にしたのは、辻谷さんの砲丸だった。富士見市の商店街の一角にある小さな町工場「辻谷工業」。蛍光灯の明かりの下、辻谷政久さん(75)が鉄球を旋盤で削る甲高い音が響く。アテネまでの三大会連続で五輪男子砲丸投げの表彰台を独占した砲丸を作った世界的な職人だ。
ほかのメーカーにはない持ちやすさと、直径十一―十三センチ、重さ約七・二六キロの鉄球の重心を、寸分たがわず球の中心に合わせる卓越した技術は日本の辻谷さんしかいない。飛距離は重心によって一―二メートル左右されることがあるそうだ。他メーカーが機械で作り、金属を注入して作るの反して、辻谷さんはすべて手作りで鉛などの注入はしない。
サッカー・アジア杯での中国サポーターの試合中の罵声・ブーイングや試合後の暴動、その後の反日デモで在中日本大使館に投石行為が行われたことを挙げて、「この国には大事なものを送ることはできないと思い、去年(07年)の11月に(北京オリンピックからのオファーを)断りました」と砲丸の提供をやめた理由を説明する。
中国へ対し不干渉(ふかんしょう)の立場をとる福田首相につめの垢(あか)でも飲ませたいものだ。。
4 Comments
辻谷さん・・・・・・こんな素晴らしい職人さんがいらっしゃるのですね!技術も素晴らしいし、中国への毅然とした態度も素晴らしいですね^^
自分の魂である砲丸を、可愛い子供に接するように両手で優しく触っている笑顔が微笑ましいですね(^^)
辻谷さんのように、毅然とした態度が中国に対しては最も良いのではないでしょうか。
中国の政治的な裏のある要求に対して、必死で誠心誠意対応しようとするのはナンセンスだと思います。
ところで、辻谷さんは、中国からのオファーを断るとき、何て言って断ったんでしょう?ストレートに反日運動のことを挙げて断ったのかな^^;;;
おはよう。
砲丸ですか。
あまり、見られないスポーツですね。。
ああ、普段スポーツしないから、、これ知らないわ・・・
すごいね、投げると甲高い音が響くなんて。。
きっと、風も回るでしょ。。
それでは
浅野せん
おはよう
コメントありがとう。
その主人公は、あるアニメを見て、得られたINSPIRATIONで作ったのです。
今回は、なんとなく、少年の目で、自然を見たかったので、書きました。
タイムね、タイムの設定は、20世紀だったかもしれませんね。
場所は。。森の中かしら。
靴を通してね、、それをね、少年の単純さをあらわしたいと思って、書きました。。
うまく行っているでしょうか。。
それでは
あさのせん
素晴らしいの一言!
手作りとは知りませんでした。
まさに「日本人魂」です。
こういった目立たない事でも、影響が出ている。
辻谷さんの気持ち・・・納得です。