松山のロシア人墓地 武士道健在なり

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080621matuyama27 日露戦争(一九〇四-〇五年)の捕虜を埋葬した愛媛県 松山市御幸1丁目のロシア人墓地で25日、第49回慰霊祭(市主催)があった。 住民や勝山中学校生徒ら約60人が参列し、遠い異国で亡くなった兵士の冥福を祈り、平和の尊さをかみしめた。同墓地に眠るのは、日露戦争で捕虜となり松山収容所で亡くなったワシリー・ボイスマン海軍大佐ら98人。勝山中学校や地元老人会などが定期的に墓地の清掃奉仕を続けている。

まだ武士道精神が健在だった明治には、国際条約に沿って捕虜の待遇もよく、市民とも交流が有名だ。6000人ほどのうち98名が異国で無くなった。写真の大佐の胸像はロシアで作られ、その当時ロシアは経済不況で日本へ胸像を送る資金が無く、その資金を市民や学生が募金でまかなった。こういう行為が平和につながるのだろう 。当時全国に収容所は29箇所あり、中でも松山の待遇は日本の兵隊を上回った。礼拝所もあり、市内への出入りも自由だった。ロシア人がその評判を聞き、戦地で日本兵に捕まったとき「マツヤマ、マツヤマ」と叫んだ逸話が残っている。

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647 表 題:敵国陸海軍衛生部員並俘虜にして治療の後兵役に堪へすと認とむる者等帰国を許可す

左は当時の日本側の資料で、

捕虜は、かならずしも戦争が終わるまで収容所に抑留されていたわけではなく、日露戦争では、例えば医療従事者、あるいは兵隊としての勤務ができないほど負傷した捕虜などは、戦争中であっても帰国が許されました。負傷していたワシリー・ボイスマン海軍大佐に帰国を促したが、大佐は「兵と共にいる」と辞退し、日本で病気で無くなりました。当時は「ロシア人の武士道」として賞賛されたそうです。

右の絵葉書では、捕虜が治療のために道後温泉へ湯治に出かけています。関連ブログ:松山城古井戸から見つかったロシア金貨のナゾ 参考記事:当時のロシア人捕虜の食事など

4 Comments

  1. Hisako
    Posted 2009年3月28日 at 8:26 PM | Permalink | 返信

    ご存知かもしれませんが、同じ四国では、第一次大戦当時、青島からのドイツ人捕虜収容所の話が有名です。「バルトの楽園(がくえん)」の題名で映画にもなった、徳島の収容所です。そこに、今は博物館が出来て観光地になっています。その収容所の当時の所長は会津藩の出身で、敗軍の惨めさを骨身にして見ていた彼が、ドイツ人を手厚く保護した様子が本にもなっています。****************************この地は、昨年松平健が主演した映画「バルトの楽園」の舞台である、板東捕虜収容所があった場所である。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ。日本もその戦争末期に参戦しており、当時ドイツの租借地だった中国の青島(チンタオ)に、ドイツと一戦を交えている。そして終戦後、ドイツの捕虜たちは青島から日本各地の捕虜収容所に連れて来られたのだ。そして、板東にもその捕虜収容所の一つがあり、多くのドイツ人がここで生活をおくったのである。(余談だが、青島ビールの起源は、青島が、ドイツの租借地だったことが大きく影響しているという。) この板東捕虜収容所の所長として着任したのは、旧会津藩士を親にもつ、会津人、松江豊寿(とよひさ)である。自身の会津人として経験した戊辰戦争の悲劇やその後も続いた会津差別、そして韓国併合に際して駐留した韓国で見た韓国人の悲劇、それらの体験に裏打ちされた愛情でもって、ドイツ人捕虜に接する。当時、日本国内の他の収容所でドイツ人捕虜の扱いが酷いものであったのに対して、板東収容所の松江所長はドイツ人捕虜を同じ祖国のために戦った人間として尊重し、収容所を越えた交流を深める。板東の人々の友好関係、文化交流が盛んとなり、坂東の捕虜収容所はドイツと日本の架け橋、シンボル的な場となり、後世にその絆が引き継がれているのである。今では年末恒例の風物詩となっている、ベートーヴェン第九の演奏も、ここ板東捕虜収容所が、日本で最初に演奏された場所である。現在、この地には、ドイツと板東(鳴門市)との友好のしるしとして、ドイツ館という記念館が建てられている。鳴門市と、多くの捕虜の出身地であったドイツのリューネルブルク市とは姉妹都市だという。私もこのドイツ館に行ったのだが、ここには当時のドイツ人捕虜の生活や人々との触れ合いの記録が写真や資料で多く残されていた。また、ベートーヴェンの第九の演奏会を等身大の人形たちが再現していた。今でもこのドイツ館では、年末、第九が歌われているのはないかと思う。さて、板東の人々とドイツ人捕虜との触れ合いは、中村彰彦の「二つの山河」にも描かれており、私もパリ赴任中に読んだ。板東捕虜収容所の松江所長は、のちに会津若松市長となり、会津の復興のために尽くす。松江豊寿の板東におけるドイツ人との友情、そして会津での生涯については、この本を読まれるといいだろう。*********と言うブログもあります。http://plaza.rakuten.co.jp/tabigaeru/diary/200711070000/私が読んだ本は板東俘虜収容所物語 日本人とドイツ人の国境を越えた友情 光人社NF文庫 むN‐497 著者/訳者名 棟田博/著 出版社名 光人社 (ISBN:4-7698-2497-1) 発行年月 2006年07月 クアンタナモなど、悲惨な話が多い昨今ですが、こういうこともあったのだと知ると、人間の良さをまた信じることができそうです。ご参考までに。失礼しました。

  2. のび子
    Posted 2009年3月28日 at 8:33 PM | Permalink | 返信

    。。。。。。。。。なんとも。。。。。。

  3. ヨリババ
    Posted 2009年3月29日 at 3:40 AM | Permalink | 返信

     記事や、Hisakoさんのコメントに、救われるおもいです。戦争は、人間の良心を封じ込め、憎しみの連鎖の渦に引きずり込んでしまいます。 私の父は、大戦末期のフィリピンで戦死。遺骨さえ不明です…検索していたら、捕虜の手紙をみつけました。                                                               http://homepage2.nifty.com/beevalley/kaiho/2006/53numasaki.htmlです。届いたのもあるんですね。

  4. 案山子
    Posted 2009年3月29日 at 8:28 PM | Permalink | 返信

    軍国 国家 に なりつつ 有りますね 日本も 戦争 知らない 世代ですからパトリオット 馬かみたいに 並べてますが 景気のネタに 成りますか 北ミサイル 南東 に 飛ばしたら 面白そう   結果 笑いネタ でしよー

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