8月15日に、、。

20090813-284507-1-N また8月15日を迎えた。TVでは「硫黄島からの手紙」を放映している。主人公は栗林中将だが、同じく硫黄島で戦死され映像にも登場した市丸少将について、2006年に書いたブログ「硫黄島 市丸少将 ルーズベルトニ与フル書。」は時期を問わず随分多くの人が目を通してくれている。

少将の遺書は、あくまでも職業軍人の立場として書いているのであって、市井の我々が彼の立場や言い分を理解はしても同じ心情になる必要は無い。彼はどこまでも人間を兵器と化し、戦い死ぬ事に大儀を求めた軍人である。無念な最後では在ったろうが軍人として見るなら、任務を全うしたという意味でりっぱであろう。

いささか怒りを覚えるのは、同じような心情を国民に求める政治家が現代にいる事だ。大げさに不安を説き、国民は団結して国を守れとか、そのための核兵器の必要性を説く。政治家ならどこまでも、いかに戦わずして平和を維持するかに奮闘するべきで、軍備が無ければ国を守れないなどは己の使命の放棄であろう。その程度の政治屋は、自ら兵器と化して戦う程の勇気も無く、政治力の持ち合わせもない本当の腰抜けでしかない。自分の出来ない事を国民のせいにするズルさと責任転嫁のプロ根性だけは持っているようだが。

13日の記事で、政府は、第2次大戦中の1942年4月、日本軍がフィリピン・ルソン島で行った「バターン死の行進」で生き残った元米兵捕虜らを、来年度日本に招待する方針を固めた。 政府が元米兵の捕虜を公式に招待するのは初めで、 元捕虜の間には、今もなお反日感情が残る人々もおり、日本政府としてはこうした活動を通じ、日本に対する理解を深めてもらいたい考えだ。「死の行進」の生存者を中心に、元捕虜やその子孫ら数百人となる見込み。記念行事への参加や日本の青少年との交流、一般家庭へのホームステイなどが想定されているという。

この記事を知った英国人男性が15日付で英国紙に反論を書いている。彼は当時タイの鉄道建設で日本軍の捕虜として過酷な労働を強いられ、当時英国人捕虜からは3000人の死者を出したという。すでに80歳を越したであろうこの男性は「私は幾ら金を詰まれても日本には行かない。日本を許さないし、彼らは謝罪もしていない、、。何をいまさら,,.」と言い放つ。勝っても負けても戦争というのは人間に深い傷跡を残す。軽く、いざとなれば戦うなどとは言ってもらいたくは無い。特に政治家には、、。そして、日本の戦争放棄は戦争で無念にも亡くなった方々との絶対的な約束事である事忘れてはならず、全ての政策はこの表題の下に矛盾無く列記されるべきだろう。写真は「バターン死の行進」

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2 Comments

  1. のび子
    Posted 2009年8月16日 at 5:11 PM | Permalink | 返信する

    。。。。。

  2. よりばば
    Posted 2009年8月16日 at 11:15 PM | Permalink | 返信する

    「勝っても負けても戦争というのは人間に深い傷跡を残す。」 そう思います。

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