➁その後のジェイシーさん誘拐監禁事件 Jaycee Lee Dugard

どうやら監禁事件は大きな事件になりそうな気配だ。Ci090829052908article-1209810-063824BF000005DC-882_308x185

まず、カルフォルニア州サクラメントの保安官Sacramento sheriff Warren Rupf氏が会見で、過去に救出のチャンスがあったにもかかわらずジェイシーさんを発見できなかった事を謝罪し、その席で、1976年の誘拐監禁事件で1977年に50年の服役刑を受けたガリドGarrido容疑者が、僅か11年後の1988年には仮出所している事実を公表した。その3年後の1991年に今回の18年に及ぶ監禁事件につながる誘拐が行われている。

2006年11月30日には警察に通報があり、住宅の後ろのテントに人が住んでいて、子供もいるようだと言う内容だった。通報者はさらに、ガリドは精神的におかしくpsychotic、異常性愛者a sexual addiction だとも言っていた。保安官事務所はガリドと連絡を取り、代理の者がそのようなことはないと確認し、裏庭の前で口頭で、勝手に外で生活やキャンプはしないように注意しただけで、それ以上裏庭に踏み込む要求も出さなかった。このことについて保安官は、事件性への配慮に欠けたと謝罪した。結果的にジェイシーさん救出の最大のチャンスを逃してしまった上に、なぜか、彼の性犯罪歴も調査に際し伝達されていなかったというから、実にお粗末な対応だった事になる。

警察は現在、容疑者宅の家宅捜索で、1990年代にガリドが勤務していた付近で多発した未解決の売春婦殺害事件の証拠探しも行っている。この夫婦への容疑は28件にもおよび、そろって無罪を主張している。

一方、被害者のジェイシーさんは「逃げようとすれば死ぬ事になったかもしれないが、今はガリ ドの言う事に従ったことへの罪悪感を感じている」と発言している。幾ら監禁されているとは言え、付近には民家もあり、逃げようと思えば逃げれた可能性もあるが、奴隷の扱いを受けながらガリドのいうことに従ってしまった。このことについて、「ストックホルム症候群」という解釈も出ている。これは記憶では、スウェーデンの銀行で長期に渡る人質監禁事件が起きたとき、人質の一部に犯人に同情する感情がおき、反抗せず犯人を助けようという衝動にかられたことを指している。それほどに18年は長く、異常な中でジェイシーさんが選んだ生き残る手段だったのかもしれないが、今はそれが拷問のように自分を苦しめているようだ

事件発覚時の写真、記事に関しては 前の関連ブログを参照   上は逮捕後の犯人夫婦と11歳ころのジェイシーさん、上右は残っていた1991年の誘拐のときに使用したといわれるグレーの車。下はその後分かった現場の状況で、この詳細を載せるのは、地下室だったオーストリアの監禁事件とは違い、逃げる事が可能な状況だった事の検証で、ストックホルム症候群、あるいは脱出を躊躇(ちゅうちょ)させるような一種の洗脳が行われていたのではないかという疑問がわいてくる。残酷な犯人の設置した子供用の遊び場からは、もしかしたら子煩悩だったかもしれない一面も推測できる。犯人の宗教活動は、調べるとここ数年にことのようだが、これは自分の内部に潜むおぞましい性癖や犯行からの都合のいい逃避、又は正当化の為ではないのだろうか?彼の再犯防止や立ち直りの為になるならと、何らかの原因で子供を生めない妻も、少女愛好嗜好の強い変態的な夫の為、11歳のジェイシーさん誘拐に加担したと個人的には想像している。彼が日常暴力的であれば、この状況でならジェイシーさんはフェンスを越えて逃げていただろう。個人的にこういう事件を深く掘り下げるのは、防げなかった経緯や犯行に至る状況分析が日本のニュースでは何時も欠けているからである。これは個人ブログであり、文中に個人的な憶測の入ることは了解願いたい。写真はクリックで拡大します。 この続きはここで ➂へ続く    最初の①へ戻る

29日のAFPの続報は:ジェイシーさんと娘たちは、サンフランシスコ(San Francisco)郊外のモーテルでジェイシーさんの母親や、義理の妹にあたるシャーナ(Shana)さんと再会を果たした。ジェイシーさんは、子ども時代からの「すべてを記憶していた」という。シャーナさんによると、「(ジェイシーさんは)誘拐された時と同じくらいに、とても元気そうに見えた。ジェイシーさんも娘たちも元気そうに見えた。みんなで走り回っていた。全員で一緒に過ごした」という。、、今週、ガリドー容疑者との間にもうけた娘たちと一緒に外食したものの、非常に緊張し、「他人が周りにいることに慣れていなかったので、帰らざるを得なかった(注:途中でレストランを出た?と言う意味か不明)」という。その感動的な再会に立ち会ったジェイシーさんのおばティナ・ドュガードTina Dugardさんのコメントが9月3日にあった。中でも印象的なのは、母子の語らいの後に、母親が18年ぶりに娘の髪に櫛を当てジェイシーさんの髪を編んであげたというくだりです。この一見普通の親子の触れ合いに18年の年月が必要だった。それはすごく心温まる光景で「そこには安心して任せきった安らぎと幸せが感じられます」とおばさんが述べています。

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One Comment

  1. よりばば
    Posted 2009年8月30日 at 3:00 AM | Permalink | 返信する

     アメリカの判決で100年の刑とか聞いて、死ぬまで刑務所暮らし、日本もこれくらい厳しくてもいいのに、と思ってましたが、実情は日本と変わらず、おとなしくしてれば仮釈放される事を知りました。そうですよねぇ、刑期まで収容してたら、大変、刑務所はパンクしちゃいますし、医療費・介護も大変でしょう。10代半ばで訳も分からず自宅出産…幼かった彼女は救いを待ち続け、現実逃避が彼女の命を保ったと思います。ストックホルム症候群とは思いたくありません。あんな奴を認めたとは思いたくありません!

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