ネッド・ケリー、NED KELLY ケリー・ザ・ギャング

article-1227459-0732F1AB000005DC-756_224x491 article-1227459-07332C11000005DC-864_468x292 19世紀オーストラリア。かつてここはイギリスの流刑地としての役割を負わされ、多くの犯罪者が送り込まれてきた。ネッド・ケリーNED KELLYの父も犯罪者としてアイルランドから送られてきた移民の一人。犯罪者の息子として不当な差別と偏見に苦しむネッドは、貧しいながらも真っ当に生きようとしていた。しかし16歳の時、無実の罪で投獄された彼は、出所すると弟ダン、2人の親友とともに“ケリー・ギャング”を名乗り銀行強盗を繰り返す。やがて彼らの行動は、イギリス支配に苦しめられていた民衆の心を掴んでいく…。これが以前「ケリー・ザ・ギャング」という映画のあらすじ。

山賊 bushranger になり、銀行を襲ったりしては金を貧しいもarticle-1227459-0732F01A000005DC-416_224x491のに分けたり、借金の証書を焼いたりしてヒーローにまでなった。オーストラリア版 「ネズミ小僧次郎吉」、アメリカなら21歳で射殺された無法者「ビリー・ザ・キッド」なんですね。詳しい話はここのサイトを読んでいただくとして  彼の最後の部分だけコピーしよう。

ホテルの前の最初の銃撃戦でネッドは右手とひじにひどい傷を受け、、それから彼は出血多量で気を失った。彼が意識を取り戻した時戦闘はまだ続いており、ネッドはブッシュから攻撃する者の後方へとよろめき歩いた。彼は自分の甲冑の胸当てにピストルを当て、警官を挑発した。彼は警官の列に近づき、銃撃の雨の中へまっすぐ向かっていった。結局彼は足に向かって打たれたショットガンにより倒れ、警官に捕らえられた。バイアンは射殺され、弟のダンとハートは警察が焼き払ったホテルの中で焼死した。 メルボルンから来た報道記者により、ブッシュで意識を取り戻した時、どうして逃げ出さなかったのかと質問された時、彼は「仲間を見捨てられるほど立派なディンゴ(野犬)になれればなあ」と端的に答えた。

article-1227459-07327EA9000005DC-246_468x330 その後1880年11月11日絞首刑になり、埋葬された後掘り起こされ、頭蓋骨だけが旧メルボルン監獄博物館  Old Melbourne Gaol にケースに入れられて展示されていたが、1978年何者かに盗まれ行方不明だったそれが今回見つかったというニュース。英雄とも冷酷な殺人鬼とも言われるが、当時のオーストラリアの世相を代表する人物では在ると識者が語る。

写真左上が本人、右上がデスマスクと盗まれる前の展示されていた頭蓋骨。その下は彼が実際に銃撃戦で使った甲冑(目のすき間の狭いのと広いのと2種類あるが、写真は広い方)だが、手と足がむき出しで、足を打たれて逮捕された。左下は映画で再現されたときの再現シーン。今回オーストラリア西部に住む農夫から学者に渡され鑑定されたのだが、なぜ彼の手元にあったのかはまだ説明されていない。1855年~1880年の25年の人生最後の言葉は、「Such is life(これが人生さ)」という物だった。 元記事  2009年11月14日

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One Comment

  1. よりばば
    Posted 2009年11月16日 at 3:15 AM | Permalink | 返信する

    サイトで紹介の愛馬との逸話を読んでも、彼の ある意味での 優しさが伝わります。素晴らしい指導者になれる資質は持ち合わせていたのかもしれないのに、26歳で絞首刑…支配者側に反発するには、暴力・犯罪しか選択肢がなかった時代が悲しい…

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