未だ残る南方戦線の日本兵遺骨

www.bing.com screen capture 2009-12-15-1-7-6   インドネシア内務省は12月14日、第二次大戦の激戦地の一つ、同国パプア州(ニューギニア島西部)のビアク島Biak Islandで旧日本兵の遺骨291柱が見つかり、日本政府の代表に現地で引き渡したことを明らかにした。 ビアク島では米軍の反攻で、歩兵第222連隊などの旧日本兵1万人以上が玉砕。 戦後、これまでに約4千柱が日本側に返還された。

ビアク島戦Battle of Biakは「絶対国防圏の天王山」と位置づけられ、ミッドウェー戦やガダルカナル島戦以降劣勢に回った日本軍が起死回生を図るため、青森、岩手、秋田、山形県の東北健児で編成された陸軍36師団3,815名を中心に、海軍陸戦隊1,947名、後方支援部隊約7千2百名8ここには多くのインドネシア兵、台湾兵が含まれます)を合わせ、約1万3千名の守備隊が派遣されました。米軍第41歩兵師団約3万名が昭和19年5月27日ビアク島に上陸を開始し、兵器、食料の不足した日本兵の多くがジャングUSA-P-Approach-p339ルで病気に倒れ、将兵は応援の無きまま約1か月間、ビアク島を死守すべく勇敢に戦かうが、玉砕と肉弾戦、赤痢などの病気、飢餓で戦闘終了時80名(0.6パーセント)を残し全滅しています。その後、先に島を脱出していた生存兵士を含めても、1万3千名のうち、生き残ったのは520名ほどでした。詳しい記録や証言はここで

戦闘終結は1944年(昭和19年)8月20日で、アメリカ軍も、戦死者471名、戦傷者2,443名を出し、加えて感染症の罹患者が6,811名、戦場神経症患者が423名にも上った。

最後の日本兵数十人が武装解除され収容されたのは更に1年後、終戦後の昭和20年秋だった。終戦を聞いた身にまとうものさえ無く、裸でぼろぼろの日本兵は皆大泣きしたと言う。左はジャングルに残った日本軍戦車。米軍側手記:知られざるビアク

広告

2 Comments

  1. のび子
    Posted 2009年12月16日 at 8:10 PM | Permalink | 返信する

    お帰りなさい。ご苦労様であります!  敬礼!!!!

  2. kako
    Posted 2009年12月17日 at 3:15 PM | Permalink | 返信する

     戦争経験生存者たちは 残り少なくなりまhしたが 彼らの記録は後世に伝えるべきもの、と思います。 お国のために、と戦った兵士たちの遺骨は 靖国に祭ってほしい。

コメントを投稿

Required fields are marked *

*
*

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。