ウッカリ タチバナさ~ん、

PN2010012601000869.-.-.CI0003 PN2010012601000869.-.-.CI0003 愛媛県松山市は、松山城二の丸跡の井戸で発見された1899年(明治32年)製のロシアの金貨に、ロシア人捕虜とみられる名前と、日本人の名前が刻まれているのが見つかったと26日、発表した。二の丸跡には1885年、陸軍の衛戍病院が建てられ、日露戦争時代(明治37年1904年~明治38年1905年)は捕虜収容所病院の役割をしていた。中村時広市長は「経緯は分からないが、友情の証しに彫ったのではないか」と話し、金貨はロシア皇帝ニコライ2世の肖像が描かれた10ルーブル金貨で、直径約2センチ。日本語で 「タチバナ 力」「コステンコ ミハイル」、ロシア語でも「M Костенко M・コスチェンコ,」と刻まれていた。1904年の海南新聞(現愛媛新聞)に、ロシア人士族で当時24歳の歩兵少尉ミハイル・コステンコ Михаил Костенко が 松山市で収容され治療を受けたとの記事があり、市はこの人物にかかわりがあるとみている。「タチバナ 力」という人物の情報はなく、情報提供を求めている。

左上の金貨の色調を変えて拡大してみれば、確かに名前が彫ってある。コステンコはコスチンコにしか見えないが、、。明治27年頃の1ルーブルは7円の価値があったと言うから、10ルーブルは大よそ70円。明治27年~明治44年頃の公務員の初任給が当時50円から55円。これから10ルーブルの当時の価値を自分なりに計算すると現在の30万円ほどになる。8.6gあるので、現在の金相場なら金としては27000円ほど。このタチバナさん、お礼か何かの代金でもらって、誤って井戸の落としたか?

左上は原寸大の直径2cmにしてみました。  過去の関連ブログ:松山のロシア人墓地 武士道健在なり   金貨その後の進展:竹場なかさん?とロシア人捕虜の様子

2 Comments

  1. のび子
    Posted 2010年1月27日 at 4:14 PM | Permalink | 返信

    チンコに見える。。。。。。。><

  2. kako
    Posted 2010年1月28日 at 3:15 PM | Permalink | 返信

    ♪ kakoさんの投稿:  金貨の彫り文字で いろんな推理できて楽しい^^  ロシア金貨、タチバナさんに返却できますように♪  ☆ 辞書ツールに登録した顔文字が 自然と消えていきます。       顔文字登録するとき 二画面ださないと ツールバーが操作できません。        どこの設定なおせば いいんでしょうか?         アチコチみてますが PCオンチゆえ 理解不能になってます

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