タチバナ・カ>タケバ・ナカ>竹場なか

PN2010012601000869_-_-_CI0003_thumb[5] 以前のブログで書いた 愛媛県松山城の二の丸史跡庭園内の古井戸(大井戸遺構)の埋め立て土掘削中に見つかった名前の彫られた金貨についての 「ウッカリ タチバナさ~ん」は、もしかしたら国際的なロマンスだったかもしれない!(井戸といっても火災の際の消化用水も兼ねる大きなもので東西18m・南北13m・深さ9m、写真左)

二之丸2 松山市の中村時広市長は2月9日、井戸で発見されたロシア人の男性捕虜と日本人とみられる2人の名前が刻まれた1899年製ロシア金貨 について、該当する日本人は近くの病院で勤務していた女性看護師の可能性が高いと発表。市長は「国を越えての恋愛を社会が許さず、金貨に2人の思いを凝縮したのかも しれない」と話している。当時の海南新聞(現愛媛新聞)に、2人が恋愛関係にあったことや、関係が引き裂かれたことをうかがわせる記2409061述があった。 

  市は当初、金貨に「タチバナカ」と刻まれているとしていたが、その後、「」ではなく「」と読める細い下書きを発見。「タケバナカ」という人物がいなかったか調べると、1904年の海南新聞に*「竹場ナカ」という日本赤十字社の看護師がロシア人捕虜を収容 していた病院に勤めていたことが報じられていた。竹場看護師は宇和島市出身で、1904(明治37)年5~10月ごろに捕虜収容所病院に勤務。ロシア人捕虜のミハイル・コステンコМихаил Костенко は、同年5~9月に同病院に収容されてiいた。両人については、プライバシーに関するので、これ以上の調査は控えるそうです。100年以上経って金貨が見つかり、こうして二人を偲ぶ事で供養になるでしょう。金貨は立派に目的を果たしたようです。

なんとも思いがけない進展です。恐らく当っているのでしょう。二人でまた遭える日を願って、井戸に投げ入れた金貨、、、.。直径2cmの金貨に思いを込めて、、。ナカさんが恋した絵の得意な歩兵少尉ミハイル・コステンコは、当時24歳だった。 1904年明治37年は日露戦争の真っ最中で、死者1万7千人を出した二〇三高地の占領は同年12月5日だった。旭川の第7師団1万5千名のうち、5日間で生存者が僅か1千名という激戦で、当時、乃木大将は日露戦争で息子二人を亡くしている。

 img_091002_05 当時の日本軍は捕虜に対しては武士道精神で寛大で、負傷したロシア人将校の夫人の来日を許可し、一軒家を与えて看護することまで許可している。その夫人は日本語を覚え、当時の日記が「日露戦争下の日本~ロシア軍人捕虜の妻の日記」という日本語での書籍にもなっている。日記は、日本の風土や、思いがけない松山市民の温情に感謝する内容であふれていると言う。  当時、松山にはロシア人捕虜の収容所が市内の約20カ所にあった。捕虜の人数はピーク時には当時の松山の人口の8分の1にあたる約4千人がいたとされる。捕虜たちは許可された区域内であれば、市中を自由に散歩できた。 松山収容所での、地元民の心厚い慰問や優待、「ロシア町の誕生」、将校捕虜の遊興振り、捕虜の各地への観光散策、道後温泉の買切り、レイカー少尉の日本娘ハナとの恋等々数限りない話が『日本捕虜志』(長谷川伸著)や『松山収容所』(前掲)に書かれているというから、ロマンスは他にもあったようです。

img_091002_06 * 竹場姓については竹葉という報道もありますが、明治時代の宇和島町には竹場覚治氏という製糸業の実業家もいましたから、比較的珍しい竹場姓の方が宇和島にはいたようです。ナカさんが日本赤十字所属と言うのは、当時の宇和島でキリスト教が盛んだったことと関係があるかもしれません。金貨は3月28日まで、同市南斎院町の市考古館で展示されている。

戦後生まれなんですが、軍歌大好き少年だったので、書いていて ♪ 旅順(りょじゅん)開城(かいじょう) 約成(やくな)りて敵の将軍 ステッセル 乃木大将と会見の 所はいずこ 水師営 ♫ ~昨日の敵は 今日の友  語る言葉も うちとけて~  なんていう歌詞を思い出しました。亡くなった祖母が子守唄代わりに歌ってくれたのを今でも覚えています。同じ頃、捕虜収容所のあった金沢を舞台に、ロシア将校と美貌の芸妓・染乃とのロマンスを書いた 五木寛之作『朱鷺(とき)の墓』という小説もあります。 過去ブログ:松山に残る武士道精神  参考記事:当時の捕虜の食事など

広告

3 Comments

  1. kako
    Posted 2010年2月11日 at 1:40 PM | Permalink | 返信する

     現代版、ロミオとジュリエットを連想してしまいます。 捕虜虐待の話ばかり、聞いてましたが実際は 敵に対しても人間的扱いされてたのには びっくりです。

  2. よりばば
    Posted 2010年2月12日 at 3:20 AM | Permalink | 返信する

    貴ブログで金貨を知った時。名前の間の(-)が気になりました。結びつける意味をあらわしてると思い、(タチバナ カ)の(カ)は カネ と読むのでは?随分以前(人名カをカネ)と読んだ記憶があったような…。で、橘かねで検索したりしましたが、行き当たりませんでした。(タケバ ナカ)さんだったんですね。私の狙いもある意味当たってたって事ですね。♪ 旅順(りょじゅん)開城(かいじょう) 約成(やくな)りて…懐かしい、子供の頃のゴム飛び遊びの歌でした。意味も分からず口ずさみながら、遊んだのをのを思い出しました。ちなみに、♪ 紀元は2600年♪ も歌って遊んでました、古っ!

  3. よりばば
    Posted 2010年2月21日 at 5:53 AM | Permalink | 返信する

    似たような 日本語間違い の笑える記事を発見しました。タイトル「ミケ命ネルソン…」という日本語教師の体験記の本の紹介記事内にです。・「ミケ命」と刺青を入れていたアメリカ人。本人は「ミカ命」と入れたつもりですが、カの字が曲がってケに見えるのです。ミカは前の彼女の名前。・「ネルソン」は自分の名前を「寝損」と漢字で紹介したアメリカ人。この漢字は日本人が教えたそうです。だれだ!そういえば以前、「侍」のつもりで「痔」のTシャツを着てるのがテレビで紹介されてました…。

コメントを投稿

Required fields are marked *

*
*

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。