昔は「ニッポン負けた また負けた」だった。

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anohi0505 日本のオリンピック初参加は 第5回 ストックホルム大会 <1912年5月5日~7月22日明治45年、大正元年>(写真左)だった。日本代表として派遣されたのは、短距離の覇者、三島弥彦選手(東京帝国大学)と世界最高記録を作って優勝したマラソンの金栗四三選手(東京高等師範学校)の2人だった。しかし、結果は散々だった。三島選手は大柄な外国勢に阻まれ、予選最下位、金栗選手は、本来のレース運びができず、外国人選手にペースを乱され、日射病で倒れてしまった。

旗の影が金栗選手で、旗手は三島選手。英語のJAPANを嫌って、NIPPON のプラカードを上げている。欧米の植民地ではないと言う、精一杯の自己主張だ。このためか北欧では今でもNIPPONの名前が良く使われる。

  東京高等師範学校に在学していた金栗選手はスウェーデンに渡航する費用が工面できなかった為、募金によって派遣費用をまかなった。そのときの金栗選手の運動靴は 地下足袋 だった。(写真右)

track 今でも新興国から選手一人や二人の入場式がある。日本もかつてはそうだった。小さなアジア人が飛んだり跳ねたり、毎回悲惨な成績で、国民は「ニッポン負けた、また負けた」が口癖だった。それから100年、夏季にも冬季にも選手を送り込むまでになり、何とかがんばっている。「ニッポン、、ってどこにある?」から始まって、今世界で日本を知らない人はいないだろう。歴史の中で消えて行った国のあることを思えば、若い選手は、国の代表で参加できることの幸せをもう少し知るべきで、多くのアジアの国がニッポンをお手本にしている事も理解するべきだろう。選手がメダルを取れば国歌が流れ、世界中がその国の発展と選手の努力に敬意を払う。ギリシャの時代から、オリンピックとはそういうものだ。  下のシャツは、初参加の際のユニフォームと地下足袋。

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3 Comments

  1. kako
    Posted 2010年2月15日 at 3:19 PM | Permalink | 返信する

     冬季オリンピック開催でTVに釘付けですw  日本も大選手団派遣ですが 開始前から衣服の乱れ問題選手もいて 若者選手にとってオリンピックとはなにか、と考えさせられました。

  2. のび子
    Posted 2010年2月15日 at 3:37 PM | Permalink | 返信する

    それがね。。。。意外とみんな知らないのよ名前くらいは知ってるねんけど。。。。日本か中国か韓国か。。。。わからんみたいで。。。なぜか???大阪より北海道のほうが知名度高かったりして。。。。

  3. よりばば
    Posted 2010年2月17日 at 8:16 AM | Permalink | 返信する

    ・ よりばばさんの投稿: 金栗四三翁は熊本県出身なので、今でも有名です。ストックホルム大会での有様と、55年振りにストックホルムを訪れ、競技場内に用意されたゴールテープを切った感動の様子は歴史~とはずがたり http://sans-culotte.seesaa.net/article/123719734.htmlに詳しく紹介されています。

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