アフガン、パキスタン北部で始まったタリバン崩壊 カンダハル包囲か

03_AFGHANISTAN01 20年前、旧ソ連軍がアフガニスタンを侵略した時、最高時のソ連兵力は115,000人だったと推測され、7年前、アフガニスタンに攻め込んだ時の米軍の数は5,000人であった。現在米・NATO軍約15万人の駐留は、アフガニスタンの歴史上、初めてのことになる。

400px-Afghanistan_provinces_japanese_thumb[2] そして、アフガニスタンの反政府ゲリラの主要なグループは、Quetta Shura Taliban (OST)、 Haqqani Network(HQN)、 Hezb-e Islami Gulbuddin(HiG)の3つである。第3のHiGのリーダーはグルバディン・へクマチアル氏Gulbuddin Hekmatyar と言われ、ペシャワール7聖戦士団Peshawar Seven Mujahideenの1つで、1978~1992年、ソ連軍との戦いにCIAから何百万ものドルを受け取とり、1985年には、レーガン大統領にホワイトハウスに招待されている。その時、レーガンはGulbuddin Hekmatyarを「アメリカ合衆国の創設者に比較できる」戦士であると、褒め称えたが、その後はタリバン、アルカイダと協力関係にあり反政府組織として米軍、NATO軍と抗争を続けてきた。

2010年3月7日:アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領は7日、駐留米軍主導による大規模な旧支配勢力タリバンの掃討作戦(モシュタラク作戦)で制圧したタリバンの主要拠点、南部ヘルマンド州のマルジャを訪問し、地元長老らとの対話に臨んだ。 大統領は長老や住民300人を前に、政府支持を要請した。しかし、住民の間からは、掃討作戦による民間人の犠牲、地元役職者の間ではびこる汚職、外国軍による市民拘束、軍による校舎の接収などについて、数々の苦情の声が聞かれた。

2010年 3月9日、そのHizb-e-Islamiが地域を支配する仲間のタリバンと激しい銃撃戦をおこない、タリバン側に60~79名の死者がでたという報道があった。Hizb-e-Islami側にも20名ほどの死者が出たが、その後彼ら70名ほどがアフガン政府軍に投降した。場所はアフガンの首都カブールに近いnorthern Baghlan provinceで、タリバンとの関係悪化により、今後はアフガン政府軍と協力すると言う。(右の図緑色Baghlan、赤い◯は米軍、NATO軍、パキスタン軍が優勢に制圧中。赤い地域が首都カブール)険しい山岳地であり、かなりな無人爆撃による攻撃が行われていた地域である。

彼らの行動の意味するのは、タリバンの内部崩壊から十分な資金が得られ無くなったことを意味するだろう。彼らは常にその地域の支配階級の傭兵を生業にしている。真の理由はともかく、反政府勢力の内部崩壊と取れる典型的な出来_46275851_dronebody事だ。

hakimullah 2010年3月10日:パキスタン中部北ワジリスタンNorth Waziristan では依然として米軍による無人機(左)による攻撃が行われ、3月10日、Datta Khel地区でこの地区のタリバン司令官Hafiz Gul Bahadar(右)と仲間14人死亡したようだ。Mazer Meda Khel地区では無人機攻撃でタリバン側11人が死亡。

2010年3月10日:アメリカの議会下院は10日、反対356票、賛成65票で、民主党議員が出したアフガニスタンからの早期軍隊撤退案を否決。民主党内の重要人物はこの議案に反対し、「あわてて撤退すれば、アフガニスタンをタリバンに手渡すのと同然だ。アルカイダの勢力は再び増すことだろう」と見ていて、撤退は予定の来年になる見通し。可決されれば30日以内の撤退だった。

2010年3月11日:アフガニスタンのカルザイ大統領は11日、パキスタンの首都イスラマバードで同国のギラニ首相と会談した。会談後の共同記者会見でカルザイ氏は、アフガン安定のカギを握るイスラム原理主義の反政府武装勢力タリバンとの対話について、「パキスタンには重要な役割があり、我々はそれを歓迎する」と語り、和平プロセスへの関与をにらむパキスタンに配慮を示した。カルザイ大統領は、タリバン、アルカイダを含む和平解決の為にパキスタンとの関係改善に動いているが、3月11、12日、会談中も近くのラホールLahore周辺で爆弾テロが続発している。現在掃討作戦中の米軍からは、和平調停によってタリバン勢力がアフガン社会に拡散するのではないかとの懸念がもれてくる。米軍の考えは、来年予定の撤退までに、徹底的にタリバン、アルカイダ勢力を排除したい思惑のようだ。隣国イラクでの経験からそう言わしめるのだろう。

2010年3月12日:パキスタン北西部のSwat Valley地区でのパキスタン軍による制圧がほぼ完了したと発表が出た。約1年を費やした攻撃だったが、依然爆弾テロが発生している。今後は激しい空爆、地上攻撃をしている南、さらに北ワジリスタンに地上を含めた攻撃を集中するだろう。

2010年3月12日:タリバンはパキスタン軍に対し北西部での作戦停止と無人爆撃機による攻撃停止を要求、要求が通らない場合は自爆テロ要員3000人がパキスタン全土で攻撃に出るという。確かにこ最近、ラホール、イスラマバード周辺で自爆テロが激増している。

2010年3月12日:アフガン南部カンダハルの刑務所Kandahar prisonを狙った4件の自爆テロが12日15時半発生。死亡者30人以上、負傷者52人以上を出したが駆けつけたカナダ軍の応戦で受刑者の逃走は食い止められた。同刑務所は2008年にも攻撃を受け、その際は1000人の服役者のうち400人のタリバン兵士が脱走した。カンダハルは1990年代のアフガンタリバンの発祥地でタリバンの聖域。当時タリバンと戦闘中のソ連軍がここに攻め入って孤立し包囲され、撤退にあたり用水路、農耕地を破棄したことがある。多くの果樹園が破壊され、その後その跡地でヘロインの原料となるケシ栽培が盛んになり、タリバンの収入源になっている。ここでの戦闘はイラク北部で起きたような市街戦になる可能性が高いが、平坦な周辺には多量な地雷が今も多く残っている。自軍の犠牲を最小限にするため、米軍は時間をかけて周りを囲み、まず補給路を全て遮断するつもりだろう。すでに司令部は制圧には時間がかかると表明し、夏前には行動を起こすと憶測できるが、相当な用意がなければソ連軍の二の舞になる。(人口は45万から50万人で市街地に集中している。市街地は2.5km四方の狭い地域)

4月末までに市街地で多くの爆弾テロが発生し、既に国連職員、外国人職員は首都カブールに退去した。

2010年3月17日:2月に拘束された隣国アフガニスタンの反政府武装勢力タリバーンのナンバー2、アブドル・ガニ・バラダル師が拘束前、アフガンのカルザイ政権と和平について秘密裏に交渉していたことをアフガン政府高官が17日に明らかにした。カルザイ大統領は拘束の報に激怒したという。交渉の最中に、パキスタンのカラチ郊外を車で移動中にパキスタン情報機関に 捕まった。交渉を妨害された形のカルザイ氏は、パキスタンに対する怒りをぶちまけたという。その後の経過:アフガン、パキスタン2010,4月~

afghan_pakistan_bbc

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