猫だらけの銭湯と仇打ち

011-092585 製作は明治13年?と読めるのだが 歌川芳藤:「流好 温泉の景」という猫で描いた銭湯の様子。面白いので保存。ガス灯か灯油ランプも付いているようだが、実際はかなりうす暗かったでしょう。

玄関には下足番がいて、離れに打たせ湯もある。お茶を飲んだり、2階では食事もしている、江戸の風情がまだ残っている。版元が浅草とあるから東京の銭湯の一こまですね.明治13年なら1880年で130年前、この年の12月、福岡藩の支藩秋月藩の 臼井六郎が11歳の時に惨殺された父母、妹の仇として東京上等裁判官判事補一瀬直久を東京・京橋の黒田長徳邸内で刺殺。usui-1これが日本での武士道による最後の仇打ちだそうです(上の写真臼井六郎本人)。 一般に電灯が普及するのは明治15年以降、北海道の最初の鉄道、小樽から札幌までが開通したのは明治13年でした。

ついでながら、その仇打ちの場面を残しておこう。青春の城下町 より転載
  <仇討ち決行!>
今や一瀬は、新政府で裁判所判事となっており、静岡に居ると聞いて六郎は静岡へ行くが、既に一瀬は東京へ転勤になっていた。
1272815842837lll.JPGいいttt そこで上京した六郎は、一瀬の行方を探りながら北辰一刀流の山岡鉄舟の元で剣の腕を磨き、機会を窺っていた。そしてたまたま、旧藩主黒田長沖邸で毎月1回、旧秋月藩士を集めて碁会が開かれ、時々一瀬もそこに来ていることを聞き込んだ。明治13年12月17日、六郎は黒田邸を物陰から見張り、一瀬が館へ入るのを見るとすかさず後を追い、階段を上りかけた一瀬に向かって「親の敵、覚悟せい。」と叫んだ。一瀬は最初ぎょっとした顔をしたが、すぐ翻(ひるがえ)し階段を駆け上ろうとした。そこで六郎は後を追い、13年来の仇一瀬に向かって短刀を突き立てた。引き抜いてはもう一度刺した。それから頸動脈を切断して一瀬が絶命したことを知ると、六郎はゆっくりと館をでた。騒ぎを聞きつけ二階の窓から、たまたま六郎を知っていた者が「六郎、何をしたのだ!」と問いつめたが、六郎は、「邸内を騒がせ誠に申し訳ない。多年の恨みを御邸で引き起こした事について深くお
akiduki119 詫び申し上げる。」と深々と一礼し、門前の人力車に乗って警察に出頭した。この知らせを郷里の秋月で聞いた六郎の祖父遊翁は、垣根を飛び越えて隣家に駆け込み、「六郎がやった! 六郎がやった!」と叫び、「今日は我が生涯最高の日じゃ、生きてて良かった。」と泣いたという。明治6年既に「仇討ち禁止令」が発布されていた。当然六郎も罪人となり、裁判の結果、死罪は免れたが終身禁固刑に処せられた。模範囚だった事もあり、帝国憲法発布の祝典により、罪一等を減ぜられ、明治24年獄中生活約10年で釈放された。その後六郎は、佐賀県の鳥栖で仕出し屋を営んだりしていたが、大正6年11月病死。墓はふるさと秋月の両親の側に作られた。

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3 Comments

  1. のび子
    Posted 2010年5月6日 at 2:33 PM | Permalink | 返信する

    おもしろかった。

  2. よりばば
    Posted 2010年5月7日 at 3:00 AM | Permalink | 返信する

    男の裸じゃあ絵にならない。擬人化の猫で、マサニ絵になりましたね。 漸く、殺人の時効が撤廃され、たとえその後どんなに出世していても、過去の罪は暴いて裁く!あだ討ちができない現代、せめてもの被害者家族への救いとなるでしょう。

  3. Posted 2011年9月22日 at 3:06 PM | Permalink | 返信する

    コメントありがとうございます 現在 http://blog.livedoor.jp/nappi11/ でブログ更新中です
    お手数でも そちらで継続 閲覧ください 

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